2017年09月03日

「カエルの楽園」 再掲

9月になって、急に爽やかな風が吹き始めました。
けれど、内外を取り巻く状況は、爽やかなんて言葉からほど遠いようです。

そんな中で、ネットや報道を見ていて思い出したのが、去年の8月7日に書いた、百田尚樹さんの「カエルの楽園」という本についての記事です。
その記事の中で、私は「この本で書かれていることのおよそ7割程度はすべて真実で、残りの3割ほどがこれから起こるかもしれない未来の話です。」と記しました。
この数日、北朝鮮のミサイル発射と核実験の進行と、それに伴う日本国内の反応を見ていると、「残り3割」がそのとおりに進行しているなぁ、という感想です。

ここ数日の国内の反応では、有名な作家が「国家の存亡を賭けることになっても、(戦うよりも)再度戦争放棄を宣言する」と発信したり、東京新聞の記者が「(こういう状況になってしまったのだから、)北朝鮮の金委員長の要求に応えるように、日本からアメリカにもっと行動を手控えるように促さないのか」と官房長官に質問したり、テレビのコメンテーターが「今の米朝の対立は、日本に責任がある」と発言したり。
これらは、「カエルの楽園」の「残り3割」に出てきたセリフと瓜二つです。

もっと驚いたのは、今回の出来事を何でもかんでも安倍首相や政府の悪事だと解釈する発信。
例えば、ミサイルが発射された前日は必ず官邸に泊まっている、発射がわかっていながら国民に隠しているとする「安倍首相のミサイル疑惑」なるものがあるようです。
冷静に、論理的に考えると、「政府がまともに情報が取れていないより、とれているほうがよほどまし」だし、「もしわかっていても、前日からそんなことを宣言したらパニックになるかもしれないし」、「なんでも公表して相手に手の内を見せるほうがおかしい」と、わかりそうなものです。
だけど、特定の意識が根付いてしまっている人は、そんなふうには考えられないようです。

その他にも「Jアラートを鳴らしたこと自体、おかしい」とか、「今回の出来事は、加計問題逃れ」とか。
私だったら、もし東京に核爆弾が撃ち込まれたら、首相だって死ぬんだから「加計問題逃れ」なんて、意味をなさないと思うのですが。
ネットを見ていると、上記の私のように考える人たちと、その対極にある人たちの意見に大別されます。(もちろん、圧倒的マジョリティは、そのどちらでもない人たちだと思いますが。)6月11日の記事の最後で、私は「これこそが、私が一番心配している、『メディアによる分断』です。」と書いたのですが、これがその一例だと思っています。

繰り返しますが、私は特定の政権や政治的な思想でこうした発信をしているのでは、ありません。
元新聞社出身という出自から現代のジャーナリズムに危機感を持ちつつ、コンサルタントとして身につけた「論理性」、「客観性」から「本質」を見つめると、こういう判断になるという、ささやかな発信をしているだけです。

最後に。
9月になって、秋らしくなると、思い出す曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=H7bwWAVVCWg

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posted by y.i at 00:00| 1.日々のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする