2017年06月01日

日々、疑問A

昨日の記事で、「メディアの状況を見ると、最近は毎日とても暗澹たる思い」と記しました。
そこまで私が思うのは、本来、真実を公正に伝えて世の中をよくするべき存在であるはずなのに、既存メディアが今やっていることは、”分断”を生んでいるだけだと思うためです。
その最もわかりやすい例が、朝日新聞自身が誤りを認めた吉田証言に関する記事のために、多くの韓国人と日本人の間に、分断が生まれてしまったことでしょう。
あの作られた記事がなければ、韓国人と日本人の関係はもっと変わっていたと思います。

その分断が、「真実や本質を公正に伝えた結果生まれたもの」であるならば、受け入れなければいけないと思います。
けれど、現実はそうではありません。既存メディアが自ら果たすべき責務を果たさず、自らに都合がいいように恣意的な報道ばかりした結果、起こったことです。
私がいつも疑問に思うのは、どうしてこんなふうに恣意的になるのかということ。

ところで、恣意的になる際のパターンは3つあると思っています。
@ 本来ならしっかりと伝えるべきことを、意識的に伝えない。
A 事実であっても、ある一定の方向に誘導するように都合のいいように記事を作成する。
B ありもしない出来事を、あったかのように捏造する。

ネットの時代になる前は、多くの人がこれらのことに気づかないで、新聞に書かれていることやテレビで放映されること”だけ”を信じてきました。その結果、先に記した吉田証言なるものが、あたかも事実であるかのうようにセンセーショナルに報道され、そして他のメディアもろくに検証しないで後追い報道した結果、分断が生まれたのだと思っています。
自ら進んでネットで情報を取っていくと、ここで挙げた3つのパターンが今も常態化していることに気づきます。

だからこそ、私たちは今の時代に相応しい「メディア・リテラシー」を身に付ける必要があると思っています。「必要」というより、今の時代、ある年齢を重ねた大人にとっては「責任」という表現を使うべきだというのが私の実感です。ちなみに、リテラシーとは、読み解く力という意味です。

4月6日の記事の最後で、「そんな中で、やはり共謀罪反対がしばらく、続くのでしょう。」と書きましたが、今は「加計学園」なる学校に関することが問題であるように報道されています。
まるで雨後の筍のように”問題”が生まれてきている訳ですが、森友学園問題なるものが現れたときも、私は3月14日の記事で、私は「もともとこの話にはさして関心もなかったのですが」と書きました。その後、今に至るまで、”一部の既存メディアが追求しようとした何か”に対する回答はありません。

今回の加計学園の記事が朝日新聞の第一面にセンセーショナルに一番最初に出たときも、その中身を読んで思ったことは、「この内容で記事にするのは無理だ」ということでした。今日の紙面を見ていても、依然としてそのレベルから、ほとんど進歩がありません。にもかかわらず、そんなレベルの内容で紙面が埋め尽くされています。このままでは、上記したA、というよりBのパターンに当てはまってしまうかもしれません。
今後の展開を見ないと早計に判断はできませんが、朝日新聞は吉田証言のときとまた同じ道を歩んでいるのかもしれないと思っています。














posted by y.i at 23:03| メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする