2017年07月31日

私が考える、森友・加計の本質

先ほどの週末のオフモードの記事から、今日は月曜になってオンモード。
仕事関係では、今日は研修会社さまの社内勉強会に終日参加していました。

それ以外の隙間時間で、これまであれこれ書き連ねてきたメディアのことについて、いろいろ整理して考えました。といっても、わざわざ机に向かって考えたのではありません。ビジネスのことにせよ、何事にしても、日頃からあれこれ考えていると、例えば電車に乗っているときなどにふと、勝手に頭の中で考えがまとまるような瞬間があるものなのです。

今回の森友、加計のことでいえば、一番の問題は「朝日新聞をはじめとする既存メディアが、選挙で選ばれた民意を、嘘や恣意的な報道によって変えようとしていること」つまり、「一私企業に過ぎない新聞社によって、不当な方法で、民主主義が歪められたこと」だと私は思っています。これは極めて重大なことで、一般の企業がこんなことをやれば、完全なコンプライアンス違反、というか、社会に与える影響の大きさを考えると、コンプライアンス違反なんていうレベルの話ではありません。

思えば、私がジャパンタイムズに勤めていた頃は、朝日新聞と同社が協力関係にあったこともあって、私自身朝日新聞社によく出入りしていたし、最も信頼できる新聞社だと思っていました。
いまは、そのような思いはまったくありません。
でも、多くの人々が今も、私がかつてそう思っていたように、「朝日新聞社は良識の府だから、おかしなことを言うはずがない」と考えているだろうと思います。

物事は、時にシンプルに考えた方がわかりやすいことがあります。

結局、朝日新聞の経営者は彼らなりの経営努力をしているだけなのでしょう。今、同社の部数も下落の一方です。それを、食い止めたたい=部数を維持したい=というのが、一番の関心事だと思います。
そんな状況になれば、マスメディア以外の一般の企業なら、日々変化する外部環境に合わせて新たな顧客ニーズを分析・把握し、それに合った製品やサービスを開発しようとします。つまり、自分が変わる努力をするわけです。これが、「革新」につながり、社会が進展し豊かになります。
しかし、新聞社はそうは考えません。
なぜなら、自らが作り出す記事や報道によって、自分たちが変わる必要がないまま顧客(社会=読者)の考え方をコントロールできると知っているからです。

 (経営革新も、かれらには理解しがたい概念でしょう。)
新聞社以外の、例えば食品メーカーがそんなことをしようと思えば、たくさんの広告を出す、つまり多額に資金が必要になります。しかし、新聞社の場合は、自社の紙面を使ってただでそれができるのです。

もう少し背景を探れば、朝日新聞や毎日新聞といったメディアは、これまでGHQが定めたWGIPが存在する日本で、環境適応してきました。
その中で、コアな読者を育み、そのコアな読者が喜ぶ記事を書くことで、部数を維持してきたわけです。
だからその状況を維持することが、自社の利益になると考えているのだと思います。

しかし、現安倍政権は、憲法改正を明確に主張しました。これは自分たちの存続できる環境を脅かすことです。
その途端に加計問題が朝日新聞の一面を踊りました。
結局のところ、ジャーナリズムを守るとか、社会の木鐸とか、権力の監視とかといった聞こえのいい言葉ではなく、自らの存続だけを考えた行動原理になっているということです。

この辺りの事実関係を、昨日の門田隆将氏の次のブログはわかりやすく記してくれています。
http://www.kadotaryusho.com/blog/index.html

こうしたことを理解する他の多くの識者も今、「メディアは報道機関としての役割を放棄して、単に倒閣運動をしているだけだ」と記しています。例えば、この記事などです。
付け加えれば、根本的な問題として、多くの読者が今もあると幻想しているであろう”ジャーナリズムの志や矜持”が劣化しているというか、そもそも今はもうない、ということなのだと思います。

たぶん、”朝日新聞社の経営陣の努力”が短期的には実を結んだとしても、上記の門田氏や名もない私が書く、こうしたネット上の記事が、中長期的にはダメージになっていくと思います。
ちゃんと、自らの本分に沿った新聞社であり続けてくれていれば、私はこんな記事はかかないで済んだはずなのですが。










posted by y.i at 21:27| 3.メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする