2020年04月26日

武漢ウィルスについて思うこと AとB

「現下の武漢ウィルスにょる災厄について、個人的に思っていることのいくつかを記してみたいと思います」の続きです。


A「令和2年の、武漢ウィルスによる災厄」
私は個人的には、今回のこの出来事を「令和2年の、武漢ウィルスによる災厄」と呼んでいます。
すでに世界中で「新型コロナウィルス」という呼び方が主流になっていますが、それをこの先も続けていくことは「中国による三戦」の成果に知らずのうちに屈服してしまうのと等しいのじゃないかと思うためです。
もし、「三戦」をまだご存知でない方がいらっしゃれば、ぜひこの機会にご理解下さい。今回の災厄の大きな根っこの一つであることは間違いないと思います。
中国はWHOテドロス事務局長の前、マーガレット・チャン事務局長の頃から、したたかにことを進めていたのだと認識しています。
私は、アメリカのトランプ大統領やポンペイオ国務長官が認識している問題意識は至極、真っ当だと思っています。

B大東亜戦争のときの繰り返し?
今回のこの武漢ウィルスとの闘いは、ひょっとしたら太平洋戦争、より正確に言うと大東亜戦争のときと同じ構図で進んでいくのではないだろうかという問題意識を持ってずっと見ています。
過去に、2018年3月22日のこの記事でお伝えしたとおり、大東亜戦争当時の日本軍は戦争終結への「グランドデザイン」なきまま、局地戦を重ね、戦略や戦術、そしてロジスティクスが不十分な中、現場の兵士のやる気と能力ばかりに依存する戦い −もちろんキスカ島撤退(樋口 季一郎中将)のように、すべての現場がそうであったとはいえないでしょうがー を続けることが多かったと思います。

それと同じようなことが、今回の武漢ウィルスによる災厄への対応でも表れてしまうのではないかと危惧しながら、日々のニュースを見ています。

そう思う理由は主に2つあります。
一つは大東亜戦争の振り返り(反省)を日本人自身の手でしてこなかったことです。「前に間違えてしまった。だけど、その間違い(もしくは失敗)の検証をした」、なら同じ過ちは繰り返さないでしょうが、それをしていないのであれば同じ失敗を繰り返してしまう恐れは強いのではないでしょうか。

その傾向は、すでに見えてしまっているように、私は思っています。
戦略性の欠如ー第1ステージでの水際作成の失敗や、「とにかく今をがんばりましょう」”だけ”の繰り返しー、意思決定とスピードの遅さ−残念ながら、「遅い・緩い・決められない」の三拍子は改善されるどころか今や多くの国民の共通認識になってしまっています、また、アメリカや欧州ではすでに経済政策を定めて、規模の大きな施策を実行しているのにいまだにそれができなことなどー が見えているように思います。
これらをカバーするために現場、つまりかつての「大東亜戦争のときの現場の兵士」、そして今は「私たちのような一般国民」の意識とやる気ばかりに依拠しすぎていないでしょうか。

個別の戦いで成果を出せなかった指揮官をそのまま居座らせてしまっているところも、当時と今とで共通しているなぁと思えています。

一方で、感情的に反応するよりも数値や論理で合理的に物事を判断しようとする人々もわずかながら存在していて、そうした方々の意見にも個人的には注意を払っています。
  ※ただし、それが正しいというか、より望ましい結果をもたらすかどうかは判断できませんが。
わかりやすくいうと、完全なロックダウンをせずに国を動かしているスウェーデンのような考え方です。
ただ、少なくともメディアや政府関係者などから、そうした考え方について検証しようという声が聞こえてこないのも、大東亜戦争の頃と似ている風景のような気がしています。
要は、みんなで一つの方向ばかりに向きすぎているんじゃないか、という気がするのです。(繰り返しますが、別のやり方が正しいかどうかは私にもわかりません。)

もう一つの理由は、上述のとおり、失敗の振り返りをしてこなかったから、当時と同じ統治機構のまま、今も世の中が動いてしまっていることです。
何を言いたいかと言えば、昨今盛んに言われている官僚による支配。
私たちの国を統治するシステムが、大東亜戦争の頃から改善されていないことによる弊害が、今、あらわになってしまっているように思えています。

少なくとも今の我が国のシステムからは、スプルーアンス提督のような指導者もしくは戦略家は出てこないだろうと思います。








posted by y.i at 00:00| 1.日々のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする