2020年05月05日

いまお勧めしたい本 「夜と霧」

しばらく前に、この状況下にあってカミュの「ペスト」という本がよく読まれているというニュースを見ました。私はその本は読んだことがないのですが、自分だったらどんな本を今、お勧めするかなと考えたとき、すぐに思いついたのが「夜と霧」です。

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もうだいぶ前に読んだ本です。
内容は心理学者でありかつユダヤ人であった著者 ―ヴィクトール・E・フランクルー が第2次大戦下のナチ強制収容所で体験したことと、感じ考えたことを記述した本です。アマゾンでみると、500人以上の人が評価に参加していて、75%の人が星5つをつけています。相当、高い評価だと思います。本の紹介文には「言語を絶する感動」といった言葉が並んでいます。

けれど私の正直な感想を言えば、最初、読むのに苦労したし、感動を覚えはしませんでした。
一方で、ずっと心の中に残っていた本であったことは間違いないところです。

読むのに苦労したり、感動を覚えたりしなかった一つの要因は、この本にはおよそストーリーみたいなものがないからです。よく起承転結などといいますが、この本にはそうしたものが何もありません。
本の前半は、著者がアウシュビッツなどの強制収容所で体験した様々な出来事や感じたことをスケッチのように、たんたんと記述するだけにとどまっています。前後関係や背景の説明などもあまりないので、臨場感がいまひとつ伝わってこなかったというのも、率直な私の感想です。(ただ、新版と旧版では写真の有無などの違いがあって、理解度に差がありそうではあります。)

ただ、山というものがないというわけではありません。
この本の後半部分、フランクルが強制収容所に入れられた人間について彼独自の考察を述べる部分は力強くかつ印象的です。この部分が、今のこの武漢ウィルスの時代を生きる私たちに大いなる ”示唆と助け" を与えてくれることは、間違いないと思います。

何が言いたいかと言えば、フランクルたち当時のユダヤ人がいきなり無条件に強制収容所に放り込まれたのとまったく同じ状況に、現代の私たちも突然置かれたのだということです。
すぐ目の前に、死を感じ続けなければならないところも同じです。違いは、今の私たちには目に見えるリアルな壁がないだけです。
そんな私たちに、強制収容所のすべてを心理学者として見てきた彼の冷静な言葉が、有益だと思うのです。



そんな同書から、大切だと思うことばをいくつか抜粋してご紹介します。
(訳者の人には申し訳ないけれど、とても堅苦しい翻訳なので、できるだけ自分の言葉に置き換えて平易に読んでみてください。)


「元被収容者についての報告や体験記はどれも、被収容者の心に最も重くのしかかっていたのは、どれほど長く強制収容所に入っていなければならないのかまるでわからなかったことだとしている。」(P118)

「ありようがいつ終わるか見通しのつかない人間は、目的をもって生きることができない。ふつうのありようの人間のように、未来を見すえて存在することができないのだ。そのため、内面生活はその構造からがらりと様変わりしてしまう。精神の崩壊現象が始まるのだ。」(P119)


この二つの言葉は、緊急事態宣言が曖昧なまま延長された私たちが、まさに今、経験しているのと同じことを言っています。
つまり、先が見えないことが最もつらかった、その場合、中には目的を持って生きることができなくなってしまう人も出てきて、時には精神的に参ってしまう、と書かれています。

一方、次の二つのことばはこれから私たちが理解し、受け入れ、実践したい言葉だと思います。


「『強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、私の真価を発揮できるときがくる、と信じていた』
けれども現実には、人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。おびただしい被収容者のように無気力にその日その日をやり過ごしたか、あるいは、ごく少数の人々のように内面的な勝利を勝ち得たか、ということに。」(P122)

「具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。人間は苦しみと向き合い、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。
だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引き受けることに、ふたつとないなにかを成し遂げるたった一度の可能性はあるのだ。」(P131)


そして、終息後に、おそらく私たちも体験するであろう言葉。

「そしていつか、解放された人々が強制収容所のすべての体験を振り返り、奇妙な感覚に襲われる日がやってくる。収容所の日々が要請したあれらすべてのことに、どうして耐え忍ぶことができたのか、我ながらさっぱりわからないのだ。
そして、人生にはすべてがすばらしい夢のように思われる一日(もちろん自由な一日だ)があるように、収容所で体験したすべてがただの悪夢以上のなにかだと思える日も、いつかは訪れるだろう」(P156)


できるだけ多くの方に、フランクルの言葉を理解してもらいたいと思います。






posted by y.i at 00:00| 1.日々のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする