2020年05月13日

リアルタイム。

「検察庁の法改正なんとか? に反対します」といったツィッターの投稿が相次いでいると知ったのが、月曜の朝でした。(正確には、#検察庁法改正案に抗議します)
”なんとか?”としたのは、この時点で、内容についてよくわかっていなかったからです。
それで少し、関心を持ってすぐに気づいたことは、たくさんの芸能人がこのツィートをしていたと話題になっているということでした。

すぐに、なんだかおかしいというにおいを感じました。
みんなが新型コロナ(私流には武漢ウィルス)について心配しているときに、どうして ”こんなピンポイントなことだけ” が ”急に” 話題になるんだろう、ということです。

加えて、メディアがこぞってそれを取り上げて、野党が国会で追及する。もうこれだけで、怪しすぎで思わず笑ってしまいます。

それはともかく。
その日の仕事を終えて家に帰ってちょっと検索してみたらすぐに、以前にもこのブログでご紹介した上念司さんの動画を確認。
この話は、これでもう終わりです。

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幽霊の正体見たり、枯れ尾花。

これまで、モリカケや従軍慰安婦など、過去に起こった出来事を蒸し返し続けるメディアをこのブログで検証し続けてきましたが、今回はリアルタイムで誰でも検証できます。
かねてずっと私が「メディア」のカテゴリーでお伝えしてきたことを確認していただけるいい機会です。
新聞・テレビは今現在も市民の声だと叫んでいますが、いつまでこのネタを続けることができるでしょう。


ところで、こんなふうに思ってしまっている人は、

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衆議院のホームページに掲載されている次の図を、もう一度よく理解して頂く必要があると思います。


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たぶんこうした芸能人の人達の中には、”デュープス(Dupes)”という言葉やその概念をまだ知らない人が多いのじゃないかと推察しています。
個人的には、”デュープス(Dupes)” はあまり使いたくないのですが、しかし、その言葉や概念を理解することが “メディア・ウィルス“ に対する抗体を持つという意味でとても大切なことでしょう。

武漢ウィルスに例えるようで不謹慎かもしれませんが、今回はメディア・ウィルスに抗体を持たない人が感染し、発熱してしまったようなものかもしれません。

かつて自分自身が立派な ”デュープス(Dupes)”だった私からの自戒も込めて。
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2020年05月10日

ユリ・ゲラー、もしくは川口浩探検隊

武漢ウィルスが猛威を振るいだして、自粛生活を余儀なくされるようになってから、よく自分で料理を作るようになりました。
これまで、ハンバーグ、お好み焼き、青椒肉絲 and so on
それで気がついたのですが、野菜は一つ一つ個性があって味わいがありますね。今まで肉や魚や酒ばかりに目が行っていたのですが、生の野菜はおいしいです。

今日はパエリアにチャレンジしました。
黄色いのは、パプリカ。その存在を初めて理解しました。


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見た目にはうまくいったようにみえたのですが、今日のは失敗。
お米が、下のほうは焦げすぎ、全体的には固すぎでした。で、結論的には、食べられたものではなかったです。。


そんな調理の間に、武漢ウィルスについての報道? = バラエティ? のような番組をやっていたのでしばらく見ていました。
チャンネルをそこで止めたのは、橋本徹氏が出ていたからです。橋本さんの意見は、論理的だし、一貫しているのでテレビだけでなくツィッターでもフォローはしています。
ちなみに、私がネット上でフォローしている多くの人達は、逆にテレビや新聞ではほとんど登場されないのですが。
たぶん、こういう人たちを出演させたら、テレビの舞台裏がグダグダになるとわかっているからでしょう。

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ところで、今日のタイトルです。
失敗作のパエリアもどきを、責任とって食べながら番組を眺めていて、唐突に、頭に浮かんだのが今日のタイトルにした、昔小学生くらいの時によく見た番組名です。

要はテレビ局にとっては、おそらく、武漢ウィルスも謎の巨大生物も、神秘のマジシャンも一緒なんだろうということ。

得体の知れないものに対して、わざわざ素人ばかり集めて、わいのわいの、盛り上げようとする番組の作り方がそっくりです。
子供の頃の私は、前夜テレビで見た川口浩探検隊の話題で、翌日の小学校の授業の合間に盛り上がることができました。私だけでなく全国の子供たちがテレビ局が作る幻影に、魅惑され続けていたのではないでしょうか。
ひょっとしたら、私たちは今現在も、ここでいう ”原始猿人バーゴン” を見せられているのかもしれないと思っています。
  ※繰り返しますが、私にもなにが真実であるかは判断できませんが、あらゆる可能性を考えながら情報収集しています。

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今日の番組に出演していた人たちもまじめに番組で出ておられたのだろうから、こんなことをいうのは申し訳ないとは思うのです。が、プロデュースする側のテレビ局の姿勢は、国民を小学生レベルに見立てたようなものです。
テレビを作っている人たちは、いまの時代でも同じ手法が通じると思っているんでしょう。たぶん。
というか、私たちの世界でいう「経営革新」をする必要がないまま、ずるずると組織運営してきたから、そうしたやり方しか知らないのかもしれません。


ところで、テレビではACのCMが増えています。おそらく、テレビ局の広告収入は減っていることでしょう。けれど一つのビジネスモデルとして、
「テレビで不安をあおれば(もしくはいい加減な情報をたくさん流せば)、もっと正確な情報がほしくなり新聞が売れるようになる」
というのはあるのかもしれません。

海外では、メディアの健全性を担保できないことから新聞社とテレビ局は経営が別なのですが、日本の場合はテレビ局の親会社はたいがい新聞社です。
国民は、もっとこうしたことにも問題意識を持って、賢くなる必要があると思います。




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2020年05月03日

武漢ウィルスについて思うことC 

今日は憲法記念日です。
憲法についてはこれまでも、次の二つを日頃から思ってきました。

1.「憲法を変えてはいけない」という人も多いんだけど、「PDCAをまわす」という考え方からすれば、それは違うはず。憲法についてはPDCAをまわしてはいけないという、何らかの掟でもあるのだろうか!?

2.憲法とは、私の理解では会社でいえば経営理念に相当するもの。だから、その国のありようとか、生き方を生き生きと明るく語ってくれるものであってほしいものだ。

この1,2は、経営について学んでいれば、至極自然に理解できる考え方だと思います。少なくとも私は、イデオロギーでなく、経営学を学んだ結果、自然とこの二つの考えに至っています。

けれど、世の多くの人は経営学からではなく、日頃からテレビや新聞から学んでしまっているので、これとはまた別に考え方になってしまっているのだと思います。
これは非常に残念なことです。

一方で、そうした人が増えてしまうのも致し方ない側面があります。1,2のような考え方を否定したい人たちが、世の中にはまだまだ多いからです。

新聞社をはじめとするメディアは、その典型例です。彼らは、「憲法とは、権力者(政府)を縛るもの」と勝手に定義して、その考えを大量生産してきました。多くの国民がそれを信じてきたのだと思います。
私からすればこれも残念なことなのですが、多くの人が「本当にそうなのだろうか!?」といった疑問を持つなど、自分の頭で考えることなく、こうした考えを受け入れてきてしまいました。
先日掲載した4月22日の記事で「まるで洗脳装置のようですね」と記しましたが、それと同じことが長年続いてきたといえるでしょう。

しかし、今回の武漢ウィルスによる災厄で、少し、こうした洗脳装置から解き放たれて、自分の頭で考える人が増えたようです。
昨日の報道によると、2年前まで、憲法改正賛成派と反対の数は拮抗していたけれど、今回の調査では改正賛成派が上回ったとのこと。

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「コロナの問題で、今の憲法で十分に対処できていないという疑問を多くの人がもったのかな(と思う)」という大学教授のコメントがその後にありましたが、その分析が間違っていないのであれば、今回のこの災厄は大変なものであるけれどこの点は数少ない光明の一つだと思います。





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2020年04月22日

メディアがあおる不安

久しぶりに、メディアのカテゴリーでのエントリーです。

いま、多くの人が日々報じられるニュースに見入っていると思います。
でも、一日中家の中にいて、例えばテレビの報道ばかり見ていると、気が滅入ってしまいそうな感じになる方も多いんじゃないでしょうか。
メディアは真実を伝えないとよく知っている私も、ついそんな気がしてしまいます。まるで洗脳装置のようですね。今は感染拡大期にあるので感染者が増えていくのは自明の理なのに、来る日も来る日も「今日は何人増えた」、「今日はどこで患者が見つかった」という報道ばかり。もっと冷静な分析をしてほしいものだと思います。
そんな状況に警鐘を鳴らしてくれているのが、神奈川県医師会の発信です。

神奈川県医師会が、「不安をあおるメディア」に投げかける疑問

上記の記事では、同医師会の副会長が次のように述べておられます。
「過去の類似のウイルスの経験で対応するしかないのは当然ですが、それのみですべてを語ろうとするのは危ういことです。それなのに、その後間違っていたとわかった事柄も訂正せずに、別の話をし続けるようなことがありました。そして専門家でもないコメンテーターが、まるでエンターテインメントのように、同じような感情的に主張を繰り返していたのです。

実際に、コメントの内容が現場状況と異なっていることが往々にしてありました。コメンテーターの方々は実際の現場に足を運んでお話をしているのかと疑問を持ちました。レポーターの画面受けする取材をもとに、ただ遠くから見て、野次馬と同じように発言しているだけのようでした。」(以上、同記事より抜粋)

現実から目を反らすことはできませんが、偏った情報だけを無防備に受け入れ続けることも避けたいものです。そして自分なりに冷静に状況を把握して、できるかぎり正しい行動をとりたいものです。


こちらは、「日本の医療関係者へ感謝のメッセージ」と題されたアメリカのヤング臨時代理大使のメッセージ
この状況下でメディアは絶対に取り上げませんが、前向きなメッセージなので、これも現実としてご紹介します。

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2020年03月05日

声なき侵略

今回の武漢ウィルスの災厄については、改めていろいろと考えさせられるところが多いです。

まず、今日のニュースで、ようやく政府が中国と韓国からの入国を全面的に規制するというニュースが報じられました。
2月14日の「三拍子」という記事で、「多くの一般国民がずっと前から思っているように、なぜ中国本土すべてからの入国制限を未だにできないのでしょう?」と記しましたが、そこからもさらに2週間を要しました。
ほんとうにやっとです。
その時の記事でも記したように、いまさらもう遅いという感覚は十分にありますが、それでもやらないよりはやったほうがいいと思います。

多くの方と同様に、私もコロナ・ウィルスの情報は日々、出来る限りチェックしています。
その中には、「いまさら中国全土からの入国制限をしても ”合理的な” 成果は見込めない」とする説もあります。
もちろん、その考えにも一理あると思います。けれど他方でより強く思うのは、「人は合理的な理由だけで行動できるわけではない」、というよりむしろ、「こんな状況だからこそ、人は感情や情意に基づいて行動する」ことが多くなるのだと思います。そうした「感情や情意」にアピールするためにも、いまさらではあるけれど、やるべきはやったほうがよいという考えです。


一方で、この報に接して改めて情けない気持ちにもなりました。
やはり、現政権は周近平来日を慮って、中国全土からの全面的な入国制限に踏み切らなかった(踏み切れなかった、というより)のでしょう。
これまではそう思ってはいても状況証拠ばかりだったので、そうあってほしくない気持ち ー希望的な観測ですー も一方で残っていました。
けれど、今日、周近平来日延期と中国全土からの入国制限を同時に発表したのは、あまりにあからさまだったのじゃないかと思います。

私は以前の記事で、国の運営も会社の経営も同じと書きました。
その観点から企業人の世界に例えてみれば、今回のできごとはこんなことじゃないでしょうか。

「企画部でずっとがんばっている部員(私たち一般の日本国民)の多くが、今の売り方じゃまずいと思っています。だから、マーケティング的にもっと違った販売方法を上司を通じて会社に提案し続けてきました。けれど、私たちの上司の部長は、将来、自分(企画部長さん)よりも先に取締役になりそうで、さらには社長にもなってしまいそうな営業部長に遠慮して、企画部員の皆さんの意見を会社に提案したりはしませんでした」

こうした状況を仕事現場で体験すれば、本当にがっかりしてしまうのではないでしょうか。
それと同じことが、 ”全国民の命と引き換えに” 起こっていたと考ざるを得なかったのではないかと思い、改めて「情けない気持ち」になったと思うわけです。
もちろん、決定的な証拠はいまだになく、状況証拠が増えて”疑惑はさらに深まった”としか言えないわけですが。

しかしまぁ、面白いというかなんというか。
与党もそうですが、新聞(一部を除く)もテレビも、そして野党もみな、「中国全土からの入国禁止・制限」を全く声にしなかったわけです。
中国からの声なき侵略が、いかに浸透してるかがはっきりわかります。
笑い事じゃないんですけどね。





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2020年02月16日

how can we dance?

振り返ってみると、もう10年以上このブログを続けていて、投稿した記事の数は500を超えています。

もともと、経営コンサルタントとしての活動のためにと思って書き始めたブログです。しかし、そのほかにも伝えたいことがあって、それで「メディア」というカテゴリーを中心としたところに収めてきました。

「ほかにも伝えたいこと」をなぜ書き続けてきたかという本質は、日本が、まさに今回のような「危機」(今回はたまたま、新型コロナの流行という形で現れたのですが)に備えられる社会になっていかなければ、将来、大切な家族や友人が大変なことになるかもしれないという思いからです。

そんな私なりの危機認識を伝えるために、「bed's are buring」や「カエルの楽園」といった記事を書いてきました。


そして、メディア、特に朝日新聞や幾つかのTV局をはじめとするそれは、こうした危機を人々が理解することが彼らなりの「利益」と「目的」に反すると考えている危険な存在だと私は思っているので、その断片を少しでも客観的に理解してもらいたいと考え、記述してきました。

けれど、私の感覚ではこうした危機認識を持っている日本人は、たぶん国民の1割にも満たないのではないかと思います。
新聞は正しいと思いこんでいる人も多いので、新聞を読む習慣を持っている世代では、この比率はもっと下がるでしょう。

たとえばですが、「アイヌ新法」の危険性を認識している日本国民は少ないと思います。
朝日新聞をはじめ、多くのメディアで多くの人がアイヌ新法の記事を目にし、さほど関心も持たずに次のページをめくったのだろうと思います。

けれどこれ(アイヌ新法が成立したこと)は、また新しく作り出されようとしている危機の芽かもしれません。

新聞報道を鵜呑みにせず、例えば「チュサッパ アイヌ」で検索して自ら調べようとする人が少しでも増えれば、これが第2、第3の慰安婦問題、辺野古問題へと発展するかもしれないと気づけるはずなのですが。

このアイヌ新法の問題一つとっても、本当はもう ”私たちのベッドは燃え始めている” と私は思っているのですが、多くの人はそのことには関心さえもなく、眠りつづけたままなのだと思います。

しかし、さすがに今回のコロナウィルスの件では多くの国民が、”ベッドが燃え上がり始めている” ことを理解し、もう眠りこけている場合ではないのだと気づきました。

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bed's are burning midnight oil


皮肉っぽく聞こえてしまうとは思うのですが。
日頃、SNSや何やかやで楽しい毎日を謳歌していることをみんなに伝えるのもそれはそれでいいと思います。私自身、そんな投稿もここで数多くしています。
けれども、国の誇りや尊厳、そして守りといったことを、もっと一人ひとりの国民が考え、共有することも大切だと私は考えます。
今回は、このうちの守りがどうにもならないレベルであることが露わになってしまいました。


PS
ところで。
そういった観点から今回の災厄を活かすとすれば、東京オリンピックはむしろ開催できないようになった方がいいかもしれない、と考え始めています。
もちろん犠牲が多くなるのは困るのですが、それくらいのインパクトがないと、これから必ず起こる次なる危機への備えが進まないかな、と。





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2020年01月28日

一寸先は闇 

ついこの間、いろんな方に「来年も良いお年を」とご挨拶し、自分の中でも「来年は新たにこんなことにチャレンジしてみたいな」などと考えていたのに、気がつけば、「これからしばらくの間、社会はどうなるのだろう」とすこし心配している自分がいます。
昔の人はよく言ったもので、「一寸先は闇」ですね。
いくら世の中が進んだといっても、この点は何も変わらないということを改めて認識させられました。

今話題にしているのは、新型コロナウイルスのことです。
しばらく前からちらちらと情報には気づいていましたが、ほとんど気に留めていませんでした。私自身がちょっとまずいかな、と思い始めたのは、5日前くらいからでしょうか。
多くの方がもうおそらく理解されているのと同じように、感染者数はテレビ・新聞で報道されている数どころじゃないと思います。

個人的には、いつもツイッターなどで信頼しながら情報を得ているちゃんとしたジャーナリストの方々の情報を総合すれば、実際には二ケタ違っていると理解しています。
そうすると、中国での感染者は数千人という規模ではなく、少なくても十万人という規模になると思っています。死者数もこれと比例しているのでしょう。多分。

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ところで、年末年始にこれもやはり大きなニュースになっていた、カルロス・ゴーン被告がしばらく前に、ブラジルのメディアに答えて、「日本人はのろまだ。」と発言していました。

当然のことながら、その言葉を聞いていい気分は全くしませんでした。しかし、その言葉を否定できない気持ちでいる自分も、そこにありました。
そのことを考えているときに少し思ったことは、「世界の他の国と違って日本は長い、しっかりとした歴史を持つ国だから、それだけ固有の時間軸があるんだよ、レバノン(って国がどんな国かよく知りませんが)みたいな国とは違うんだよ」っていう思いが浮かんだりしていました。

けれど。
今回のウィルスへの対応が同じような時間軸、意思決定では困ります。
私の個人的な感想ですが、日本政府の対応はすでに遅すぎると思うし、トップの国民へのリーダーシップ(発信)も不足していると思っています。不足しているというより、不足しすぎですね。

私はモリカケの時も、今このような状況でも野党がストーカーのようにこだわっている桜のことについても、自分の判断で政権を非難とかする考えは起きませんでした。
素人考えですが、夏前には終息してオリンピックも開催できるだろうとは思っています。けれどこれからしばらくは予断を許さないだろうし、個人的な思いでは、今回のことでもし日本人の死者が一人でも出たら、一人の納税者としてこの政権の仕事ぶりを再確認しないといけないと思っています。

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2019年12月11日

これはちょっと驚いた出来事

でした。

「学べば学ぶほど」という記事でご紹介した、門田隆将さんの「新聞という病」という本を読んでから、同氏のツイッターをよく見ています。
そのツイッターで今日は、自民党の世耕幹事長が昨夜の報道ステーションの印象操作があまりにひどいとして、同番組を厳しく批判していることを知りました。


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これまでだったらたとえそう思っていても、大手メディアに対して「これが印象操作の手口です」なんて、政権の幹部が発言することはできなかったのではないでしょうか。


世耕氏がこうしたことを言えたのも、SNSをはじめとするネットを通じて、「メディアの不実」を理解する国民が増えてきたという背景があってのことだと思います。
それは、5.5万人のいいねと3万人のリツィートという、非常に多くの人が反応していることからも明らかだと思います。


少しずつでも、時代は確実に変わりつつあるのだと思います。
大切なのは、この点ですね。

繰り返しお伝えしますが、私はどこか特定の政党を支持したくてこうした発信をしているわけではありません。
大学を卒業してからの21年間を、はしくれとはいえジャーナリズムの世界に身を置いていた人間として、今日の「メディアの不実」の深刻さを憂慮するが故に、このブログでは「メディア」のカテゴリーを作っています。

ちなみにこの件では、同局の報道局長が謝罪したとのこと。
しかし、今日の放送を見ていても、COP25の話題で日本が非難される映像ばかり続く一方で、二酸化炭素排出量が最も多いとされる中国のことを全く取り上げないところなどは「プレスコード」の世界観そのものだという印象です。





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2019年11月27日

猫じゃらし


スティーブン・コヴィーという人の著書「7つの習慣」に、仕事というものは4つのカテゴリーに分けられるというパートがあります。
縦軸に仕事の重要性、横軸に仕事の緊急性をとって、これをプロットすると4つのカテゴリーができるわけですね。

その4つは、次のように区分できます。
@重要で、なおかつ緊急性の高い仕事
A重要であるが、緊急ではない仕事
Bほとんど重要ではないが、緊急性が高い仕事
Cほとんど重要でない上に、緊急性も低い仕事

このマトリクスを思い出したのは、今が旬の話題の「花見の反省会」についてのニュースを見ていた時です。
今年の花見についても開催した以上は、PDCAの観点から、反省会を開いたほうがいいのでしょう。これも確かに一つの仕事と言えば、仕事だったのですから。

だけど、これは上記の4つのマトリクスのどこに当てはまる仕事なのでしょう!?

冷静に考えれば、すぐにわかる話だと思います。
とにかくまずは、「花見」だったりするわけですし。

けれど、この点に気づかない人も多いようです。
そこでふと、私の頭の中で唐突に思いついた「絵」というか、風景があります。
それが「猫じゃらし」と戯れる猫の絵(風景)でした。

猫って、目の前に猫じゃらしを突きつけられると、本能的にそれしか目に見えなくなって、他の事を忘れてひたすらそれを追い続けます。
その風景と今の世相が、とてもそっくりだと思えてきたのです。
もちろん、猫じゃらしをつかみ取っても、猫には何の利得もありません。なのに猫は、目の前で猫じゃらしを振り続けられると、懸命にそればかりを追い続けてしまいます。 ”誰が、何の意図で猫じゃらしを振り続けているか” を、知る由、というか考えることもなく。


現代の世相に置き換えてみると、この猫じゃらしには例えば「WGIP」とか、「プレス・コード」とか、「ヴェノナ文書」といったスパイスが仕込まれていることを、知っている人はよく理解しています。
いま戯れている猫もこれらのキーワードに気づいたら、猫じゃらしの効力もだいぶ薄れると思うのですが。けれど、こうしたキーワードに気づかないからこそ、猫じゃらしに騙され、追い続けてしまうのでしょう。

それとあと、猫じゃらしを振るヒトは右手でそれ(猫じゃらし)を降り続ける一方で、ぎゅっと握った左手の中に隠し事もたくさん持っているというのがこの絵の全体像です。














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2019年10月24日

天皇陛下の肖像をバーナーで焼き尽くす

「あいちトリエンナーレ」なるものに関して、例えば河村名古屋市長が問題視しているのは、この点です。
昭和天皇の肖像(御真影)をバーナーで焼き尽くし、その燃えカスを足で踏んづけて回る動画が、芸術品として展示されています。また、先の大戦で特攻隊員として出撃しなければならなかった私たちの先輩を侮辱する展示物が、「芸術品」(私はすべてただのプロパガンダだと思っていますが)として展示されています。

けれど、非常に多くの、というかほとんどの国民がこの事実に気づいていないようです。
昨夜も、私が主宰するささやかな勉強会で「あいちトリエンナーレ」について聞いてみたら、少女像が問題になっているんでしょ、としか認識されていませんでした。
前述の内容を説明したら、その方は驚かれていましたが、それが普通の日本人の反応だと思います。

こんなことになってしまっているのは、新聞やテレビが意図的にそこしか報道していないから、逆に言えば普通の人が真実に気づかないように誘導されているからとしかいいようがありません。
どの報道でも、「少女像など」という表現と、その映像 ”しか” 流していませんから。
そのわかりやすい事例が、こちらの写真ですね。


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これはNHKのニュースからの映像です。河村市長が掲げるプラカードには「陛下への侮辱を許すのか」と書かれてるのですが、画面では「陛下への侮辱を」という文字が絶対に映らないように操作されていたとして、ネットで話題になっている写真です。
NHKは間違いなく、意図的にやっているでしょう。

朝日新聞やNHKというった既得権益にどっぷり浸かった大手メディアが、自分たちの既得権益を守るために、「ジャーナリズム」という張りぼての美名のもとにいかに事実を捻じ曲げているかを、私なりに理解したことを伝えるために、かつて、森友問題が燃え盛っていた頃、私はこのブログでこんな記事を書きました
当時、私は国会中継をみて、その上で新聞報道と比較するなどして自分なりにしっかり考え、メディアの不実を確信しました。けれど、普通の人ならそこまではしないから、新聞が書き立てることをそのまま信じてしまった方も多いのではないでしょうか。
今回の場合は、河村市長の写真を見ると、一目瞭然だと思います。


多くの日本人は普通に、まじめで誠実です。だから、新聞社やNHKが嘘をつくはずがないと思い込んでいる方が多いと思います。
私も以前はそうでした。
でも、いつまでもそんなナイーブな感覚でいると、将来が危ういと思っています。

(ちなみに、ナイーブという言葉は、日本語化した意味と英語の意味では大きくニュアンスが違うのですが、私は後者の意味で使うことが多いです。)


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2019年10月03日

構図

関西電力の経営トップが、普通の庶民感覚で考えればあり得ない額の金品を受け取っていたとして、大きなニュースになっています。
ちょうどこのニュースを知ったとき、関西電力の社員の方とお会いする機会があったので、私も思わず、「水戸黄門の世界ですね」と言っていました。”私も”と記したのは、どうやらそういうイマジネーションを膨らませたのは私だけでなく、世間の多くの人がそう考えているようだと知ったからです。
しかし、ネットで情報をさらに取っていくと、今回の構図は「水戸黄門の世界」ではないように思えてきました。

そのことに気づいて思い出してしまったのは、あの忌まわしい北九州の連続殺人事件のことです。
「思い出してしまった」と書かざるを得ないほど、本当に陰惨な事件です。当時、多くの報道機関が自主規制せざるを得なかったのも、納得できます。
あの事件では、希代のサイコパスに操られるようにして、良識ある大人が犯罪に手を染め、挙句に悲惨なことになってしまいました。
今回の関西電力の事件はまだ全容が明らかになっていない段階ですが、私には関西電力の会長以下のトップが、北九州の事件に巻き込まれた大人たちとダブって見えてきています。
そう考えると、記者会見の時の会長や社長が沈痛な面持ちの中で、どのような思いを巡らせていたか、わかるような気がします。
けれど、彼らは決してその胸の内のすべてを吐露することはできないでしょう。
NHKをはじめとするメディア=これまでのいわゆるジャーナリズムが、「原発マネー云々」といった(私からすれば)頓珍漢な報道しかできない現状ですから。

しかし、理由はどうであれ、経営者が、ましてやほとんど競争環境にいない寡占企業の経営トップが、こんな判断・行動をしていて許されるはずはないと思います。
どこかでもっと、しっかりした判断ができなかったのでしょうか。

それと、メディアでいえば、今朝も新聞が多くの紙幅を割いて報道していますが、本質的な構図につながる情報はいまのところは見かけられません。
新聞だけから情報をとっていたとしたら、私も上記のような考えには至らなかったことでしょう。

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2019年08月22日

学べば学ぶほど。

先週、お盆の時期は、台風が来ていたこともあってずっと外出する仕事をせずに過ごしていました。
それで、仕事関係のものなど、何冊かまとめて本を読む時間がとれました。

「新聞という病」は、そのうちの一冊。

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私の場合は、その業界に20年以上いたので今も関心を持ってこういう本を読んでいるのですが、ネットの時代になったこともあって学べば学ぶほど、かつての自分がいかに無知だったかを思い知らされます。

そして、今日も目の前で起こっている現実を見るにつけ、いかにメディアが悪影響を及ぼしてきたのかがよく理解できます。
そういうことを、とてもわかりやすく再認識させてもらえるのが、この本です。

今日も日韓関係が最悪という報道がなされていましたが、この状況を作った責任の多くは、明らかに日本の新聞業界にあると思います。
にもかかわらず、その元凶となった新聞業界が何の責も負わずに普通に経営できていることが、私は不思議でなりません。

ところで、日韓関係が今、最悪であるとメディアが喧伝していますが、これまでがずっと異常な関係であったわけで、いまの状態は正常な関係ー将来、本当にそういう正常な関係に、なれればいいのですがー になるために必要なプロセスだと思います。
だから、いまのスタンスを冷静に続けた方が良いと思います。
例によって、有力新聞をはじめとするメディアが騒ぎ立てると思いますが、私たちはそろそろ過去から学ぶべきときじゃないでしょうか。。





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2019年02月26日

歪んだメガネ

今日の朝日新聞を開いてみると、あちらこちらのページで現政権および首相に対する非難の記事で、一色でした。

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相変わらずの、面目躍如です。
以前までの、たぶん7,8年前までの私ならこうした記事を信じて、素直に、現政権の批判に回っていたことと思います。

けれど、ほんのこの一週間ほどを見ていても、ちゃんと目を開いて見ていれば今の時代、何が真実で何が嘘かがわかるようになってきたと思っています。

例えば。
しばらく前に、辻元議員に外国人からの献金の疑義が持ち上がった翌日、朝日新聞は4面か5面の中ほどで、ひっそりと報じただけでした。これが自民党の議員だったら、今頃は大騒ぎの大フィーバー(古い!?)になっていたことでしょう。
同じその日に確認したところ、毎日新聞ではこれっぽっちも報じていませんでした。まぁ、毎日新聞は私が新聞社を志して就職活動をしていた頃からずっと、死に体なのでかまわないのですが。。

辻元議員でいうと、「関西生コン」についても、多くの国民が事実を知らされていないままなのではないでしょうか。
少なくとも、朝日新聞の愛読者で、日ごろはネットとつながらず、テレビだけを一日中つけている私の母は、「関西生コン」の存在とそれにまつわる奇怪な事件のことを、まったく知らないままでいると思います。

念のために繰り返しお伝えしますが、私は政治のことについてとやかく言うつもりはありません。ただし、このブログでは「メディア」のあり方やそれに引きずられて歪んでしまっている社会の在り方については警鐘を鳴らしたいと思っています。

つい昨日も、ツィッターを見ていると、NHKが韓国のサムスン社のケータイについて、社名を堂々と示して報道していたことを知りました。
ふだん、NHKは特定の企業の利益になるような報道を避けるために企業名を出さないようにしているはずなのに、どうしてサムスン社だけはこうして名前を出して新商品を紹介するのでしょう!? そしてさらに調べてみると、サムスン社の名前がNHKで紹介されるのはこれが初めてではないようでした。

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それと、最近もっと驚いたこと。
経済評論家の上念司さんによれば、北朝鮮のチュチェ(主体)思想のセミナーに多くの沖縄県の主要な政治家などが参加していたとのこと。
これなどは、テレビでは絶対、報道されないでしょうが、個人的にはちょっと驚きました。
日本は知らないところで、こんなふうになってしまっているのだ、と。

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2019年02月12日

尼港事件

今日は、朝7時過ぎに自宅を出て、二つのコンサルティングの仕事に従事していました。もちろん、その合間にメールで必要な業務連絡も。

夕刻の6時過ぎに地元に戻ってきて、ちょっと間隔があいてしまっていたジムでのトレーニングも少し、できました。
さらに帰宅後に必要な資料を作成してから今日の仕事は完了です。

その後、ツイッターを眺めながら何気なく、目に留まったのが「尼港事件」という言葉。
この言葉は、間違いなく、過去に何度か目にしたことはあるのですが、しっかり知ろうとしたことはなかったかもしれません。以前、通州事件を知ったときにも見ていたはずなのですが。それで、今夜はその言葉をネットで追いかけました。
そこで一番思ったことは、どうして自分はこうした事実をこれまで、50年以上も生きてきながら、よく知らなかったのだろうということです。
もちろん、ネットの情報がすべて正しいとは思っていません。※
けれど、ネットで自分から情報を取りにいかなければ、確実にこうした事実をしっかり知らないまま生き、死んでいったことでしょう。

もうひとつ感慨深かったのは、この事件が起こった後、当時の国会で政府が野党に責任を追及されている様子が記されていたのですが、その様子が今日の自民党と野党との無益なやりとりと瓜二つだと思えたことです。

ひょっとしたら、私たちは、森の中をさまよい続けてまた同じ場所に戻ってきているだけなのでしょうか。

例えば、しばらく前から思っていることですが、ネットで言葉を調べていると「コトバンク」というページによく出くわします。しかし、基本的に私はこのページは信用していません。
今回も、Wikiの記事の具体性とボリュームと、「コトバンク」のそれを比較すると大違いでした。
そこには何らかの意図があるかもしれないと、警戒する気持ちをもっています。
もちろん、このサイト以外にも、信用できないサイトと信用すべきサイトがありますね。そこをしっかり見分けていく力が、これからの民主主義を支える、メディア・リテラシーになると思います。
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2018年12月10日

「変革は辺境から」

11月8日に、「情けないというより」という記事を書きました。

しかしその後の11月30日に、私の古巣であるジャパンタイムズ社はなぜか、この記事で私が書いた”情けない表現”を改めるという決断をしたと発表しました。
フェイスブックに載っている、ケント・ギルバート氏の記事がわかりやすいので、”拡散希望”の言葉に甘えて転載しています。

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社内でどんな議論があったのかは知りませんがーSNSで見ていると、この決断を支持しない人たちも社内に多くいるようですー良質な知性と良心が社内で機能してくれた結果の判断であったことを、期待したいと思っています。

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多くの方にとって、この種の話はあまり興味のないことだと思います。それはある意味、致し方のないことであって、太平洋戦争の終結以来、日本人はこうした話題に興味を持たないよう管理統制されてきた部分がとても大きかったのだと今では理解しています。
例えば、ここで太平洋戦争と私は記しました。長年ずっとそう思いこんできたのですが、本来は大東亜戦争と呼ぶのが正しかったのだと最近は理解しています。けれど、大東亜戦争というその言葉自体に多くの日本人がアレルギー反応を示すのがまだ今日の現実です。すぐに、右翼的な表現だと思う人も多いんじゃないかな。

そうした状況を生んできた大元が、これまでに何度かこのブログでも記した「WGIP」や「プレスコード」です。しかし、ほとんどの日本人が、その存在さえもまだ理解していないのじゃないでしょうか。それまた当然で、学校の授業や新聞・テレビでは決して語られることがないからなのですが。
しかしこの二つの言葉の意味と歴史上の役割を知ることは、これからの日本を考える上で、極めて重要なことです。

ところで、今回のジャパンタイムズ社の報に接して、新しく社主になられた末松(神原)弥奈子氏のブログ記事も確認しました。
こちらです。

この記事の中で、氏は、「悩みも葛藤も含めて、このEditor’ s noteにたどり着いた編集局のメンバーを、私は誇りに思います。」そして、「ジャパンタイムズは、これからも、日本の今、そして未来を、正しく世界に伝えていきます。」と語っておられます。
この言葉を信じていいのなら、前回私が書いた「恥ずべき」という言葉を全面的に撤回し、応援したいと思います。

誰かが敷いた道、それも既得権益者が敷いた道を歩むほうが、楽だと思います。けれど、ジャーナリズムがそれではいけないということ。
少なくとも、All the news without fear or favorを理念に掲げる新聞社が、それではいけないはずです。

私が経営の世界に飛び込んでから知った言葉の一つに、「変革は辺境から」という言葉があるのですが、ジャパンタイムズ社はオールドジャーナリズムの世界でみれば辺境の、小さな村みたいなものです。朝日新聞や読売新聞、テレビ各社みたいに、既得権益にどっぷりつかった大企業とはまったく別ものです。
だからこそ、今回の決定がなされたものであるのかもしれません。
まだ、予断を許さない社内情勢なのではないかと、思っていますが。

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2018年11月08日

情けないというより

恥ずべき話だと、思っています。

私が今の時代のメディアに疑問を感じはじめたのは、いわゆる「従軍慰安婦」の問題からでした。
この問題が新聞やテレビをにぎわしていたのは、私が30代、40代の頃だったと思います。
でも、そのころ、実は私はこの話題にほとんど無関心でした。仕事も忙しいけれど楽しかったし、家族や趣味のことをはじめとして、プライベートでも充実していました。だから、このような話が色々と議論されていることさえ、よくわかっていなかったというのが正直なところです。


ただ、新聞社を辞めて、その後自分が50才という年齢が近づくにつれてなんとなく思うようになったのが、「従軍慰安婦ってずっといろいろ言われているけど、」
@「日本軍が、そんなに悪いことをしていたのなら、国としてちゃんと誤らないといけないよな・・・」、
A「でも、それって本当に事実なんだろうか・・・」
という二つの気持ちでした。

50歳という年齢は、ひとつのポイントだったのではないかとも思っています。
かつて、多くの日本人は、50才前後で亡くなっていました。私が敬愛するー実際には会ったことがないー祖父も50で亡くなっています。つまり、かつての常識でいうと、自分はもう死んでいてもおかしくない人間で、そうすると、考えるようになるテーマが自分が30代、40代に考えていたことと、少しずつ変わっていったということです。
具体的には、自分のことだけじゃなく、「次世代により良い社会をいかにして残していくのか!?」ということが、自然に大切な感覚になっていったんですね。

そんなとき、ふと思い出したのが、従軍慰安婦の話であり、前述の@なのかーだったら、大変だー、Aなのかということを、少しずつ考えるようになったのでした。
そうして、自分でネットで情報を取り、書籍にもあたり、調べてみました。

自分でみつけた結論は、「これは事実ではない」ということです。
そして、今日では、多くの人がその考えを共有するようになっていると思います。
朝日新聞も、”誤報”という名のもとに、嘘を認めたし。


しかし、こんなふうに私をはじめ多くの日本人が事実に気づくようになっている中で、公然とこんな記事を活字にしている新聞があります。

comfort women, a euphemism for mostly Asian women forced to provide sex at Japanese military brothels

あえてそのまま直訳すると、「慰安婦、すなわち、日本軍が運営する売春宿でセックスを強制されたアジアの女性たちのことを婉曲的に表現する言葉」という意味になります。

私が長年勤めていた、ジャパンタイムズに、いまも普通に記されている表現です。

ジャパンタイムズという新聞は、多くの日本人の方にとってなじみがない新聞です。
しかし、英語で記事を発信するという性質から、実は日本から世界に対して、非常に大きな力を持っているメディアです。
たぶん、この記事をネットで見た多くの世界中の人々が、今日ものこの一文を信じていることでしょう。

もともとは、明治の不平等条約の時代に、「日本の正しい情報を、まっとうに発信することで国を発展させる」ことで日本の国益を守ろうと、福沢諭吉をはじめとした人々が作った新聞社でした。
しかし、今はこのような記事を垂れ流しているという現実。
少し調べればすぐにおかしいと気づく話を放置したまま、創業の理念と間逆の行動で国益を損ねている現状は情けないを通り越して、恥ずべき状況だと、思っています。

こういう話は、政治的な考えを発信していると思われる向きもあるかもしれません。
しかし、私の中ではこれは政治の問題ではなく、真実と公正さ、そしてそれを本来は支えるべきメディアの健全性の問題です。








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2018年08月15日

終戦記念日

このお盆の間は、あまりどこも出かけずにゆっくり過ごしています。それで、普段はできないような片づけものをこなしたりもできています。
ふと気がついて、このブログのサイドバー(記事の右側)も少し、修正しました。
まず、プロフィールの中にまだ前の屋号が残っていたので、新しい社名に変えて、リンクを貼り直しました。
また、過去ログのランを新たに追加して、過去の記事を検索しやすくしました。
その作業をしていて改めて、「自分にしてはよく、(細々とながら)長年記事を書き続けてきたなぁ。」と思いました。
例えば、このシーズンですからよく他のアユ釣り師のブログを見るのですが、中には一時期、熱心に記事を上げていても、2〜3年でパタッと書くのが止まってしまっているサイトもあります。
まぁ、毎月2つから、多くて5つくらいまでの記事しか書いていないので、ほんとに「細々と、」なのですが。。

さて、今日は終戦記念日。
過去ログを作ったので、これまでこのあたりの日にどんな記事を書いていたのか振り返ってみると、2014年に今日と同じ「終戦記念日」というタイトルの記事を書いています。
この記事を読んでいただいた方がいらっしゃるとすれば、どのようなメッセージが伝わったかな、と改めて思います。

お伝えしたかったことの一つは、物事、特に私たちの将来を左右する大切な物事を論理的に考えることの大切さでした。
逆に言うと、多くの人が、先の太平洋戦争(もしくは大東亜戦争)について、いまだに ”ムードでしか” 捉えられていないんじゃないかと私は思っています。
こうしたムードづくりを担っているのが、既存の大手メディアでしょう。
この点については、NHKが一番熱心なんじゃないでしょうか。この時期、NHKはドラマ、ドキュメンタリー、ニュースなどあらゆる手法で「戦争はいけない」という ”ムードだけ” を、戦後何年もずっと、大量生産しています。

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別に「戦争はいけない」というメッセージを流すことは悪じゃないと思います。だけど、「じゃあ、それをどうやって防ぐのか、その現実的かつ具体的な方法」をあわせて考えられるようにするのが、大人の責任だと思います。
しかし、NHKをはじめ、多くの既存のメディアはそこを意識的(意図的)に、削除していると私は思っています。
その結果、多くの人々が、終戦後すぐの頃と同じ意識・思考のままで止まってしまっているのではないでしょうか。

どうしてメディアが意識的(意図的)にそんなことをしなくちゃいけないのかと、訝る向きもいらっしゃるかもしれません。私自身が、以前はそうでしたから。
大学を卒業し、新聞社を就職先に選び、働いていた21年間、そしてそのあとの数年間はずっと「メディアは公正で、世の中の正義のために存在しているもの」とばかり思っていました。
しかし、その職場を離れ、そしてインターネットで多様な情報を得て、専門的な書籍も買って自分なりの考察を深めるにつれて、今の日本の既存の大手メディアはそのような存在ではないと理解するようになっています。

一言でいえば、既存メディアの本質は、自分たちの既得権益をこれからも享受し続けたいだけだと思います。つまり、国民や読者に真実を届ける(報道する)なんてことは、二の次、三の次の話だということです。
・・・というか、「国民や読者に真実を届けると、自分たちの住みやすい世界を崩壊させることにつながることがある」と知っているから、「そうしたことにつながる事実は報道しない」と、決めていると理解したほうが、すっきりします。
こうした事例は、既存メディアの報道を、ネットで発信される情報をもとに検証していくと、いくらでも見つけることができます。(逆にいえば、ネットで情報をとらず、テレビと新聞だけを信じているとこうしたことがわからないままです。)
もちろん、現場にはジャーナリズムの理念を信じるまっとうな意識の記者もたくさんいるでしょうが、組織全体の本質の前ではちっぽけなものです。

そんな既得権益が生まれる始まりとなったのが、終戦からはじまるGHQの占領時代。
この間にGHQが(他のあらゆる分野と同様)メディアにも手を入れ、それに従うことで自分たちが安住できる場所を見つけたのが今のマスコミなんだと思います。

だから、過去のこのブログの記事でも触れたことがあるWGIP(War Guilt Information Program)や、プレスコードについて理解しないまま、国民がテレビや新聞を盲目的に信じ続けるのは、非常に危険なことだと私は思っています

アメリカが庇護してくれる時代にはその弱みはあまり目立ちませんでした。しかし、トランプ大統領がアメリカ第一を掲げて世界の警察官の役割を減退させる一方、中国や北朝鮮の脅威が増す時代にあっては、その弱みがもたらす危険性がますます増大しているんじゃないでしょうか。



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2018年05月12日

メディアが倒錯する理由

最近の既存のメディア、つまりオールドメディアを見ていて、つい思いついてしまう言葉。それが今日の記事のタイトルの言葉です。

コンサルタントとして活動するようになってから、言葉は常に、大切に扱っています。だから、例えば、こうした個人的なブログに書く場合であっても、その言葉の意味を辞書で改めて調べてから掲載するような注意を払っています。
辞書で、改めて倒錯という言葉を引いてみると、多分に性的な場面で使う言葉でもあるようです。しかしもちろん、私がこの場合にいう倒錯は、そういう意味合いはありません。

「外国(中国)の首相のメッセージは好意的に取り上げ、第1面でうやうやしく扱う一方で、自国の首相については日々、徹底的に批判することしかしない新聞社」
「長年、自社の社員がセクハラされていたことを知りつつ、つまりセクハラを前提とした取材を強要し続けながら、その自社のセクハラ体質を棚に上げて、政権批判に利用し続けるテレビ局」
「自らの周りの人間を虐殺し、数多くの日本人を拉致し続けている独裁者について、急に、血の通った人間味のある人物と称える報道を始めるテレビのキャスター達」
などなど。

私の感覚からすれば、どう考えてもまともじゃありません。
ネットの世界で情報をとっていると、こんなふうに私と同じ考え方をしだしている人が多く存在することも、わかってきました。


では、なぜいま、こんなふうに私の古巣のジャーナリズムの世界が異常なことになってしまっているのかということを、つい考えてしまいます。
ついと言いましたが、かつて私がこのブログで、「ジャーナリズムは私たちの社会の大切なライフラインのひとつ」とお伝えしたことを踏まえれば、ここをきちんと考えることは大切なことだと思っています。


根本的には、いま私たちが目にしていることは、3月14日の「問題の本質」という記事で記した通り、権力闘争だと思っています。

ではなぜ、そんなふうに権力闘争する必要があるのでしょう!? 
新聞社やテレビ局が嘘をつくはずがないし、国民のための良心的な、親しみやすい組織だと、多くの人が今も思っていると思います。
私自身が、つい数年前までそう考えていました。
しかし、インターネットをはじめとした多様なメディアで、自ら進んで情報を取って考えるようになってから、考え方が変わってきました。
それには、私がコンサルタントとして身につけた知見も大いに役立っています。例えばその一つが、組織についてのドラッカーの言葉です。
ドラッカーは、組織の根本的な傾向として、次の言葉を残しています。

”外の世界への奉仕という組織にとっての唯一の存在理由からして、人は少ないほど、組織は小さいほど、組織の中の活動は少ないほど、組織はより完全に近づく。
組織は存在することが目的ではない。種の永続が成功ではない。その点が動物と違う。組織は社会の機関である。外の環境に対する貢献が目的である。しかるに、組織は成長するほど、特に成功するほど、組織に働く者の関心、努力、能力は、組織の中のことで占領され、外の世界における任務と成果が忘れられていく”
                     「プロフェッショナルの条件」 P74

つまり、ドラッカーの考えを当てはめると、昭和の時代を通じて成功した既存のメディア業界は、組織として成長し、成功し続けてきたために、組織に働く者の関心、努力、能力が自らの組織の中のことだけで占領され、外の世界、つまり変化する世の中に適合することができなくなってきているということです。






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2018年03月29日

再確認

しばらく前にブログの見出しのところを、「元新聞社出身という出自から現代のジャーナリズムに危機感を持ちつつ、」という表現に変えました。
最近の状況から、こうした認識の大切さをますます実感しています。

以前にも書いたことですが、私がブログでこんなふうな記事を書いていても、私自身の事業にとって、マイナスになることはあっても、なんらプラスになることはないと思っています。
だけれども。
齢50を超えて思うのは、自分の利益つまり収入云々も大切ですが、それ以上に次の世代により良い世の中を継承していくことが同じくらい、またはもっと大切なんじゃないだろうかということです。

そんなふうに、より良い社会を作っていくためにまず大切なことは、「事実」、「真実」が正確に語られる社会にしていくこと。これはジャーナリズムの世界にいたときも、コンサルティングの仕事をしている今も、一貫して変わらない姿勢です。

それともうひとつ私の中で大切な価値観は、常に「公正である」ということです。
だから、例えば、正義の仮面をかぶりながらこっそり自分だけ利得を得るとか、みんなが汗を流している時に自分だけ楽して利益を得るとかいった姿勢は、自分の中ではあり得ない話です。

そうした視点で見つめながらここ数日、再確認したことは、既存のメディアの多くはやはり信用できないということです。

3月19日に書いた「やっぱり」という短い記事があります。
あの記事を書いた日、朝から国会の質疑応答を見て、私の中ではこの問題の8割方はもう解決した話になっていました。(残りの2割は確認するためのものでしたが、一昨日の佐川氏の答弁でそのうちの半分は明らかとなりました。つまり、政権の関与の有無についてです。残りの半分はおそらく財務省内で官僚たちが抱える問題で、だからここは証言拒否となったのだと思います。)
その根拠となる質問をしたのは自民党の和田議員でした。彼は、事実と的確な推論をもとにして”現政権と緊張関係にある”財務省の役人から、真実を引出そうと誠実に努力していました。(これはあくまで、私の率直な”感想”です。)
しかし、翌日以降のメディアは、彼の成果と言える本筋の質疑は一切無視して、逆に彼を非難できるような些末な質問だけを ―ほとんどすべてのオールドメディアが同じようにー クローズアップし、彼をバッシングし続けました。
そんな様子を見て私が思ったことは、彼がこれだけバッシングされたということは、よほど真実に近付いていただんだなということです。
だから、オールドメディアにとっては都合の悪い人物だと認定されてしまって、あんなバッシングにつながったんだと思います。

事実や真実、そして公正さがないがしろにされる社会ほど怖いものはないと思います。私たち自身がしっかりと、そのことを意識する必要があるのではないかと思います。









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2018年03月19日

やっぱり

今日は午前中、時間がとれたので、国会答弁をリアルタイムで見ていました。
そして今、朝日新聞のネット版を見たのですが。。

やっぱりとしか、言いようがないですね。
もう、救いようがないかもしれないなぁ…というのが、率直な印象です。
posted by y.i at 18:21| 3.メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする