2017年09月30日

人間力の第一

毎月、最終水曜に私が主催するささやかな勉強会「六甲営業道場」ですが、今月は私の仕事の都合で一日前倒しをして、火曜日に開きました。”ささやかな”というのは誇張でもなんでもないのですが、その分、私が思ったり考えたりすることを、営業だけに留まることなく、経営面も踏まえて自由にお伝えさせていただいています。
そんな六甲営業道場の今回のテーマは、「人間力」でした。

その勉強会の場で何冊かの書籍をご紹介させていただきました。
その最初のものが、「夜と霧」と「エンデュアランス号漂流」でした。

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今回の道場での冒頭、私は「皆さんなりの人間力について、少しでも理解を深めていただければ、それでOKです」とお伝えしました。
ですので、上記の2つの書籍は私なりに考える人間力に資する書籍だと思っているものです。

そもそも、人間力という言葉自体そんなにメジャーなものではないと思います。また、人によってはうがった受け取り方をする人もいるかもしれないし、何をどう定義するかもいろいろなのでしょう。
ただ、私としては人間力という概念やそれについてしっかりと考えを深めようという姿勢を持つことは、とても有意義なことだと思っています。

そんな私が人間力の第一、というかベースに成るべき価値観であると考えたのが、「根源的な生きる力」であり、その考えを具体的に示してくれているのが上掲の2冊です。

PS
もちろん、この後にも重要な価値観が続いていきます。




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2017年09月27日

情けない話。

私自身が書いた過去の記事の振り返りが続いてしまいますが。。。

7月10日に「加戸前愛媛県知事の言葉」という記事を記しました。
この記事の中で、報道ステーションのキャスターの写真とともに、「常々思うのですが、この人たちは自分の仕事の意味を本当に理解したり、仕事に誇りや矜持を持ったりできているのでしょうか。
私には、そうではなくて、『会社(放送局)の”恣意的な方針”に沿うこと』〜中略〜が大きなテーマの一つになっているだけのように思えます。」と記しました。
書いたあと、我ながら、相当辛辣に書いてしまったな、と思ったりしていました。しかし、これが私なりに考えた実感なのでした。

そんな私の実感が、誰の目にも明らかとなったのが、一昨日のTBSのニュース番組内での出来事でした。
すでにネット上ではたくさん話題になっているのですが、「ニュース23」というその番組の中で、安倍首相とのインタビュー中に、キャスターの耳元にあったイヤホンから、「2人でモリカケ!」という声が大きく響き渡ってきたんですね。これは、本来は拾ってしまってはいけない音声だったのですが、果せるかな、その音声が流れた途端、男性と女性2人のキャスターは慌てて安倍首相の話を遮って、いわゆるモリカケ問題を追求しようとし始めました。

このキャスターなる人は、元々は”新聞記者として鳴らしたとされる人物”。本来ならまともなジャーナリズムを体現すべき大人が、テレビ・ディレクターの操り人形でしかなかったという、本当に情けない話です。
ここで私の実感をさらに書くとまた辛辣になってしまいますが、このキャスターさんにはサラリーマンの悲哀のようなものを感じてしまいます。しかし、もし政治家が命がけで仕事をしているのであれば、そうした政治家を時には批判する立場にあるジャーナリズムに関わる人間も同様に、命がけで、例えば自らの雇用主であるテレビ局とも対峙すべきであると思います。
ジャーナリストが、今回のように操り人形のままで仕事をするということは、自らの仕事を軽んじているというか、読者や視聴者への裏切りだと私は思います。

この「2人でモリカケ!」というキーワードで検察すると簡単に、その経緯や画像を知ることができるのですが、その過程で加えてわかったことは、他の党首にインタビューする時にはそんなイヤホンは付けさせられていないのに、安倍首相とのインタビューとのときだけはそのキャスターはイヤホンを付けさせられているということ。

しかし、”情けない”だけで片づけらないのは、その直前の「東京都議選の結果を見て、思うこと」の記事で記したように、こうした恣意的な操作で私たちの世論が簡単に変わってしまうということです。

私たちの世論が変わるということは、大切な、私たちの将来の社会が変わってしまうということですね。

衆院選を控えていながら、こうした矜持や志なき印象操作が行われているのが日本の報道界の現状です。したがって、私たちが理解しておくべきメディア・リテラシーの第2は、「”現状の”日本の報道界の実態は、今回のように、ジャーナリズムの正しいあり方に沿ったものではないと知ること」だと思っています。

   

posted by y.i at 22:49| 3.メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月22日

経営コンサルタントの視点で考えてみる・少し修正しました(緑字部分)

これまでに何度か、このブログで「国造りも、会社造りも同じ」という考えを記してきました。最初は、昨年6月に書いたこの記事です。
そして今は、その思いをさらに強くしています。
要は、経営コンサルタントとしての知見を活用して、今の私たちの社会や国が置かれた状況を見つめると、とても理解しやすいということです。

例えば、経営学で学んだ理論の一つに、「ゆでガエル症候群」なるものがあります。これを簡単に説明すると、「カエルを熱湯の中にいきなり放り込むとびっくりしてすぐに逃げ出すけれど、最初は普通の水に浸けて、徐々に温度を上げていけばカエルはそのことに気付かず、最後は茹で上がってしまう」という話です。これは大抵の場合、大きな組織の意識を変革させることの難しさを理解するときに学ぶ理論です。

この理論が私たちの社会や国にどう適用できるのか。
おそらく多くの方がすぐに理解されるのではないでしょうか。つまり、今の日本がまさしくそのとおりなんじゃないだろうか、ということです。

今日、私はフランスのスポーツ担当大臣が韓国で開かれる冬季オリンピックに選手団を派遣するのを拒むという小さなニュースを目にしました。また、どこか外国のバンドが9月に日本に来るはずだった演奏公演をプロモーターがキャンセルしたというニュースも目にしました。
つまり、世界の普通の感覚の人達からすれば、私たちが住むこの地はあり得ないほど危険だと認識されているということなのでしょう。
ここでは、フランスのスポーツ担当大臣が突然、熱湯に放り込まれたカエルですよね。もう一方といえば、私たちのことです。

2014年8月に書いた「終戦記念日」という記事の後半で私は、
「市長をはじめ、多くの日本人が、戦後ずっと平和だったと考えていると思います。
私もそうでした。でも、本当にそうなのでしょうか。
北朝鮮という国は、ずっと戦争をしている意識で様々な活動を行っています。当然、日本に対してもです。その結果、多くの日本人が拉致されてしまったのは周知のとおりです。」
と書きました。(この部分の初出が3年前でした。)
正直なところ、こうした考えを得たのはここ3年ほどのことなので、私自身がこれまでずっとゆでガエルになりつつあったんだろうな、と思っています。

ところで、こんなふうに茹で上がってきたのに、どうして誰も気づかずにずっと時間が経ってしまったのかということを考えると、そこにメディアが果たした役割は果てしなく大きいと、やはり考えざるを得ません。
(もちろん政治家の果たした役割も大きいでしょうが。)
私が考えるのは常に、正しいジャーナリズムが育っていれば、それは世の中の役に立つはずだという視点です。しかし、既存の新聞社やテレビ局がそのような役に立っているとは到底思えないのが、現実だと思っています。

というよりむしろ、日々、新聞やテレビは私たちをゆでガエルのままにしておこうとしているようにしか、思えないですね。それはなぜかというと、以前にも記しましたが、読者を変えてしまうと、自分たちのビジネスが成り立たなくなることを本能的に理解しているからだと思っています。

そんな「ゆでガエル」化を促進するための言葉だと思う例をひとつ。
「今はもっと話し合いをするべきときだ。」
よく社説の末尾の言葉で見かけますね。
いままでさんざんこうした言葉を見かけてきましたが、現実は悪化するばかりで推移しています。なぜそうなってしまうかといえば、こうした社説は綿密な分析のもとに書かれたものではなく、ただ常套句として使われているだけだからなのでしょう。
私たちが気をつけないといけない、つまり「メディア・リテラシー」を発揮しないといけないのは、盲目的にこうした言葉を信じるのではなく、自ら論理的に判断する力を持つということです。
これが、これまでに何度も私が使った「メディア・リテラシー」に関して、お伝えしたいことの第一です。


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2017年09月20日

カーチョエぺぺ・ちゃれんじ。

皆さんは、”カーチョエぺぺ”をご存知でしょうか。
これは、パスタ料理の名前です。
イタリア料理屋さんでも、あまり見かけない名前なんですが、たぶん本国ではだれもが知っている有名な料理法だと思います。
私はサラリーマン時代から、パスタ料理の中ではこのカーチョエぺぺが一番のお気に入りなんですが、これを食べられるお店が心斎橋にあったので、仕事の合間に定期的によく通っていたものでした。
そのお店で初めて知ったカーチョエぺぺというのは、基本的にパスタ、チーズ、黒コショウという3つの素材だけで作られた料理です。そんなふうにものすごくシンプルなんだけど、私にとっては病みつきになる味でした。よく、「釣りは、鮒に始まり、鮒に終わる」と言いますが、そんな感じでしょうか。。。

・・・違うかな。
っていうより、よくわからないたとえかな、と思いますが、要は「シンプルなものこそ、より奥深い」というようなニュアンスです。

ところで、最近の私の仕事の状況からすると、なかなか心斎橋に行く機会がありません。また、私の行動範囲内のほとんどのイタリア料理屋さんでは、このメニューが見当たらないんです。そんな中で先日、ふと、「久しぶりに、カーチョエぺぺ食べたいな」と思い出した次第。

そこで、まずはネットでカーチョエぺぺを食べられるお店を調べました。でも、やっぱりありませんでした。
そんな中、アマゾンの通販で”青の洞窟”シリーズでカーチョエぺぺを販売していることを発見。(店頭で販売されているのは、どこでも見たことがありません。認知されていないからでしょうか。)
最初は通販で食品を買うことに少し抵抗があったのですが、最終的に注文して食べみると、それなりにおいしかったです。

その後しばらく経ってからふと思いついたこと。
そんなにシンプルな料理なら、自分で作ったらいいんじゃない!?

この料理のポイントは、「ペコリーノ・ロマーノ」という羊のチーズを使う点にあります。
そこで、そんなチーズをどこで手に入れることができるかを、まず調べてみたら。。。
わかったことは、私の事務所から歩いてほんの2,3分のところにチーズ専門店があるってことでした。そこで、この週末に仕事の合間に出向いてみたら、ほんとにしっかりとした、こだわりの品揃えでした。
改めて思ったのですが、六甲道という町は大きなポテンシャルがありますね。もちろん、ここで「ペコリーノ・ロマーノ」をゲットしました。

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その上で、こんなふうに調理(といっても、ご覧のとおり刻んだだけ)しながら、

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作ってみた私流のカーチョエぺぺ。

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見た目は、とってもよかったです。
香りも、それなりには、ありました。

でも、味は心斎橋のお店のものには、ほど遠かったです。
なので。

カーチョエぺぺ・ちゃれんじ。もう少し研究して、納得できる味に仕上げてみたいと思っています。
美味しくできたら、またブログでご報告します。






posted by y.i at 00:00| 1.日々のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月09日

今週は、研修ウィーク

今週は、週のうち3日間、研修がありました。

こちらは、火曜日にあった経営者向けのセミナー
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そして今日は、(一社)兵庫県中小企業診断士主宰の「プロコン育生塾」の開講日。
今は、塾長の開講講義が進んでいます。

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募集開始初日に満席になった15名の熱心な受講生の方々と、真剣勝負で経営コンサルティングについて共に考える6か月間が、今日からスタートです。

posted by y.i at 12:02| 1.日々のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

「カエルの楽園」 再掲

9月になって、急に爽やかな風が吹き始めました。
けれど、内外を取り巻く状況は、爽やかなんて言葉からほど遠いようです。

そんな中で、ネットや報道を見ていて思い出したのが、去年の8月7日に書いた、百田尚樹さんの「カエルの楽園」という本についての記事です。
その記事の中で、私は「この本で書かれていることのおよそ7割程度はすべて真実で、残りの3割ほどがこれから起こるかもしれない未来の話です。」と記しました。
この数日、北朝鮮のミサイル発射と核実験の進行と、それに伴う日本国内の反応を見ていると、「残り3割」がそのとおりに進行しているなぁ、という感想です。

ここ数日の国内の反応では、有名な作家が「国家の存亡を賭けることになっても、(戦うよりも)再度戦争放棄を宣言する」と発信したり、東京新聞の記者が「(こういう状況になってしまったのだから、)北朝鮮の金委員長の要求に応えるように、日本からアメリカにもっと行動を手控えるように促さないのか」と官房長官に質問したり、テレビのコメンテーターが「今の米朝の対立は、日本に責任がある」と発言したり。
これらは、「カエルの楽園」の「残り3割」に出てきたセリフと瓜二つです。

もっと驚いたのは、今回の出来事を何でもかんでも安倍首相や政府の悪事だと解釈する発信。
例えば、ミサイルが発射された前日は必ず官邸に泊まっている、発射がわかっていながら国民に隠しているとする「安倍首相のミサイル疑惑」なるものがあるようです。
冷静に、論理的に考えると、「政府がまともに情報が取れていないより、とれているほうがよほどまし」だし、「もしわかっていても、前日からそんなことを宣言したらパニックになるかもしれないし」、「なんでも公表して相手に手の内を見せるほうがおかしい」と、わかりそうなものです。
だけど、特定の意識が根付いてしまっている人は、そんなふうには考えられないようです。

その他にも「Jアラートを鳴らしたこと自体、おかしい」とか、「今回の出来事は、加計問題逃れ」とか。
私だったら、もし東京に核爆弾が撃ち込まれたら、首相だって死ぬんだから「加計問題逃れ」なんて、意味をなさないと思うのですが。
ネットを見ていると、上記の私のように考える人たちと、その対極にある人たちの意見に大別されます。(もちろん、圧倒的マジョリティは、そのどちらでもない人たちだと思いますが。)6月11日の記事の最後で、私は「これこそが、私が一番心配している、『メディアによる分断』です。」と書いたのですが、これがその一例だと思っています。

繰り返しますが、私は特定の政権や政治的な思想でこうした発信をしているのでは、ありません。
元新聞社出身という出自から現代のジャーナリズムに危機感を持ちつつ、コンサルタントとして身につけた「論理性」、「客観性」から「本質」を見つめると、こういう判断になるという、ささやかな発信をしているだけです。

最後に。
9月になって、秋らしくなると、思い出す曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=H7bwWAVVCWg

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2017年08月31日

夏の思い出

今日は、8月31日。
そこで、夏の思い出の振り返り、といっても、私の場合はワンパターン。。。

この8月は、久しぶりに一人キャンプをしました。

昼間、いつも釣り場になる場所はご覧のとおり、観光客に埋め尽くされていました。

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こんな場所を避けて鮎釣りを楽しんだあと、テントを張ります。

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夕暮れ時から9時くらいまで、河原でのんびり過ごしていると、涼風が駆け抜けていき都会では得られない心地よさです。その時の足元は、こんな感じ。

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そのうち、となりのテントの親子連れが花火をはじめて・・・自分にもこんな時があったなぁ・・・などと思っていたら、いつのまにか寝入ってしまっていて・・それでも河原は優しくて。

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その後、テントに入って、朝まで熟睡でした。

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昨日今日と、朝夕はだいぶ涼しくなってきたから、ほんとにキャンプを楽しめるのはこれからなんですけどね。。。

以前のキャンプの記事は、こちらです。

それと、仕事関係では、こんな記事も。
兵庫県中小企業診断士協会のプロコン育成塾は伝統ある塾で、今年度は9月上旬に開講します。この記事にあるとおり、私は文章力とプレゼン力の講義を担当しています。



posted by y.i at 22:39| 1.日々のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月29日

何をいまさら・・・!?

今日は早朝に、北朝鮮のミサイルが日本の上空を飛び越えて北海道の沖合に着弾したことから、どのニュースも「列島緊迫」、「Jアラートがなったらどのように避難するのか」といった報道をしているわけですが、率直な感想としては、「何をいまさら!?」としか、言いようがありません。

私の場合は4月6日の記事で、その頃に自分なりに理解していた事の重大性を記しました。おそらくこの頃はまだ、多くの方がこの問題をあまり真剣に考えていなかったと思います。でもその頃の私は、自分の身の回りの状況(いざというとき、どこに逃げるのかといったこと)を確かめたりするとともに、その限界も認識し、相応の怖さをずっと感じてきました。(いまはもう、その緊張感は持続してはいません。)
そういう行動をとったのは、私なりの「メディア・リテラシー」があったからだと思っています。

だけれども。
報道機関は、その後、この問題を直視することなく、ずっと森友や加計の話ばかりを垂れ流していましたね。
正直、関西流にいうと「あほか・・・」という感じでした。これは、多くの方が感じていたことだと思います。

今日のことで明らかになった、メディア・リテラシーに関して知っておくべきことの一つは、「テレビは、”絵になる出来事”が実際に起こらないとまともにアクションしない」ということです。
だから、このようなメディアだけにどこまでも頼っていたはだめだということです。ことが起こってからしか、情報がつかめないのですから。

ところで、最近は朝日新聞の紙面を見ても、加計学園の記事はほとんど痕跡が見当たらなくなってきています。6月11日に書いた「日々、疑問B」の記事で、私は「何も問題がないにもかかわらず、すでに現政権が悪いことをしているような前提での報道やムードがこの国を覆い尽くしてしまっていることが怖い」と記しましたが、やはり、「何も問題がない」状態のままで推移しています。明らかに、この話は、もう終わりでしょう。
おそらく、熱心な朝日新聞の読者でも、何がどう悪かったのか、きちんと説明できる人はいないと思います。
結局、北朝鮮のミサイルの脅威に晒されながら、わけのわからない森友・加計の問題で騒ぎまくったこの半年は、なんだったのでしょう!?

しかし一方で、朝日新聞は大きな成果を上げたのだと、私は思っています。それが、日本国民にとっての成果かどうかは、まったく別問題なのですが。



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2017年08月28日

8月下旬というとき

これまで50年以上生きてきましたが、「8月下旬というとき」は私にとってずっと、特に何の意味ももたない時間でした。

8月の前半は暑さがいよいよ厳しくなってきてそこに原爆が落とされた6日と9日が訪れ、テレビや新聞で毎年同じことが〜盛んに〜報道される。それを横目で見ているうちに、高校野球の報道が過熱し始め、お盆がやってくる。その頃にはテレビや新聞では終戦特集が組まれるようになっていて、ここで、「ああ、今年も夏のハイライトを迎えたんだなぁ」と、いちいち言葉にはしないけれども、無意識のうちにそんな感覚を得る。それが私にとっての夏なのでした。
下旬は、ただの付けたしのようなものです。上手くすると、地蔵盆の昔懐かしい灯りに触れられるかどうかというくらい。

しかし、今年は少し、様子が違いました。
きっかけは通州事件という出来事を知ったことでした。今の時代ですから、ネットで検索するとそれに関連する情報に簡単に接することができます。
そうして、何に気づいたかというと、先の大戦で日本が降伏したあとの8月下旬以降も、大陸では多くの日本人が恐怖におののき、そして実際に極めて不幸な死を受け入れざるを得なかった方々がたくさんいらっしゃったということです。(単に死ぬだけなら、まだ救いがあったのかもしれません。)

もちろん、昔から映画やドラマで、「終戦直後にソ連軍が攻めて来て、大陸では引き揚げに大変苦労した」ということは知っていました。しかし、それはあくまで「大変苦労した」といった大雑把な言葉でまとめられた、まったくリアリティに乏しいものでしかありませんでした。

しかし、現実はどれほどリアルで悲惨なものだったのかということに、この年になってようやく気付くことができました。
例えば、8月27日は、敦化事件(日満パルプ事件ともいうそうです)が起こった日です。つい先日、この事件(”事件”という呼び方自体、これでいいのかと思いますが)を知って、私は72年の時空(実際、事件の現場は私が住む神戸からは札幌へ行くほどの距離じゃないでしょうか)を超えて、ソ連兵にレイプされ続けた後に集団自決した女性たちの気持ちはいかばかりだったろう(こんな言葉で表すことしかできないことが、申し訳ない気持ちなのですが)と思い、こうした方々のことを知らな過ぎた自分が申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

敦化事件はほんの一例で、その後の通化事件やシベリア抑留につながる悲惨な出来事が大陸で始まったのが「8月下旬というとき」だというのが、この夏に私が得た認識です。そして、現代を生きる日本人が、彼女たちのことを忘れてはいけないときなのだと思います。

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2017年08月27日

中小企業診断士の実務補習

中小企業診断士の試験は、1次(マークシート)と2次(筆記)の2つあります。一般社団法人中小企業診断士協会によると、平成28年度の1次試験の合格率は17.7%、2次試験の合格率は19.2%でした。これら二つの試験を共にクリアしなければいけないので、通算の合格率は4%ぐらいになると言われています。(最近は、2次試験を受ける代わりに、大学等に設置された中小企業診断士登録養成課程を受講する方法もあります。)

そして、さらに正式の登録するには、実務補習を受けなければなりません。これは、経験を積んだ中小企業診断士の指導のもと、実地で経営診断をするもので1回あたり5日間のコースを、3回受講します

昨日今日と、その実務補修の副指導員として、大阪商工会議所に来ています。

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昨日は提言の方向性をみんなで決めて、今日は報告書作成も佳境に入っています。
6名の受講生の方がおられるのですが、皆さん真面目で優秀な方ばかりです。

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posted by y.i at 00:00| 1.日々のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

今週の名言

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「もし、私がより遠くを見ているとしたら、それは、先人の肩の上に立っているからです。」(アイザック・ニュートン)
「成功を自分ひとりの努力によるものだと主張することは、浅はかで傲慢なことだ。どんな優れた業績も、多くの手と心と頭に助けてもらって初めて可能になるのだから。」(ウォルト・ディズニー)

私の日々の経営支援も、これと同じだと思います。
たくさんの先人が、経営学をはじめとする多くの知見を残してくださったその肩に立って、今の仕事ができているのだと思います。

ところで昨日は台風。関西も直撃でした。
メダカの睡蓮鉢は、室内に緊急避難でした。

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posted by y.i at 08:50| 1.日々のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

私が考える、森友・加計の本質

先ほどの週末のオフモードの記事から、今日は月曜になってオンモード。
仕事関係では、今日は研修会社さまの社内勉強会に終日参加していました。

それ以外の隙間時間で、これまであれこれ書き連ねてきたメディアのことについて、いろいろ整理して考えました。といっても、わざわざ机に向かって考えたのではありません。ビジネスのことにせよ、何事にしても、日頃からあれこれ考えていると、例えば電車に乗っているときなどにふと、勝手に頭の中で考えがまとまるような瞬間があるものなのです。

今回の森友、加計のことでいえば、一番の問題は「朝日新聞をはじめとする既存メディアが、選挙で選ばれた民意を、嘘や恣意的な報道によって変えようとしていること」つまり、「一私企業に過ぎない新聞社によって、不当な方法で、民主主義が歪められたこと」だと私は思っています。これは極めて重大なことで、一般の企業がこんなことをやれば、完全なコンプライアンス違反、というか、社会に与える影響の大きさを考えると、コンプライアンス違反なんていうレベルの話ではありません。

思えば、私がジャパンタイムズに勤めていた頃は、朝日新聞と同社が協力関係にあったこともあって、私自身朝日新聞社によく出入りしていたし、最も信頼できる新聞社だと思っていました。
いまは、そのような思いはまったくありません。
でも、多くの人々が今も、私がかつてそう思っていたように、「朝日新聞社は良識の府だから、おかしなことを言うはずがない」と考えているだろうと思います。

物事は、時にシンプルに考えた方がわかりやすいことがあります。

結局、朝日新聞の経営者は彼らなりの経営努力をしているだけなのでしょう。今、同社の部数も下落の一方です。それを、食い止めたたい=部数を維持したい=というのが、一番の関心事だと思います。
そんな状況になれば、マスメディア以外の一般の企業なら、日々変化する外部環境に合わせて新たな顧客ニーズを分析・把握し、それに合った製品やサービスを開発しようとします。つまり、自分が変わる努力をするわけです。これが、「革新」につながり、社会が進展し豊かになります。
しかし、新聞社はそうは考えません。
なぜなら、自らが作り出す記事や報道によって、自分たちが変わる必要がないまま顧客(社会=読者)の考え方をコントロールできると知っているからです。

 (経営革新も、かれらには理解しがたい概念でしょう。)
新聞社以外の、例えば食品メーカーがそんなことをしようと思えば、たくさんの広告を出す、つまり多額に資金が必要になります。しかし、新聞社の場合は、自社の紙面を使ってただでそれができるのです。

もう少し背景を探れば、朝日新聞や毎日新聞といったメディアは、これまでGHQが定めたWGIPが存在する日本で、環境適応してきました。
その中で、コアな読者を育み、そのコアな読者が喜ぶ記事を書くことで、部数を維持してきたわけです。
だからその状況を維持することが、自社の利益になると考えているのだと思います。

しかし、現安倍政権は、憲法改正を明確に主張しました。これは自分たちの存続できる環境を脅かすことです。
その途端に加計問題が朝日新聞の一面を踊りました。
結局のところ、ジャーナリズムを守るとか、社会の木鐸とか、権力の監視とかといった聞こえのいい言葉ではなく、自らの存続だけを考えた行動原理になっているということです。

この辺りの事実関係を、昨日の門田隆将氏の次のブログはわかりやすく記してくれています。
http://www.kadotaryusho.com/blog/index.html

こうしたことを理解する他の多くの識者も今、「メディアは報道機関としての役割を放棄して、単に倒閣運動をしているだけだ」と記しています。例えば、この記事などです。
付け加えれば、根本的な問題として、多くの読者が今もあると幻想しているであろう”ジャーナリズムの志や矜持”が劣化しているというか、そもそも今はもうない、ということなのだと思います。

たぶん、”朝日新聞社の経営陣の努力”が短期的には実を結んだとしても、上記の門田氏や名もない私が書く、こうしたネット上の記事が、中長期的にはダメージになっていくと思います。
ちゃんと、自らの本分に沿った新聞社であり続けてくれていれば、私はこんな記事はかかないで済んだはずなのですが。










posted by y.i at 21:27| 3.メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする